転職チャレンジ!〜会社を辞めたい人の為の仕事の探しとやめ方まとめ

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長時間労働、休日出勤が当たり前の職場。倒れて入院しそのまま退職

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念願のコピーライターの仕事に就くことができ、やる気にあふれていた

私はいまから10年前、20代後半の時にコピーライターになりたくて、東京にあるコピーライターの教室に働きながら通っていました。

その教室では毎回課題が出されるのですが、そこそこの評価をプロのコピーライターの方からいただき、勉強を始めてから1年ほどたってから転職を考え始めました。

その時勤めていた会社はテレビ番組の制作会社で、そこでナレーション等も作っていた経験があったので、まったくの素人、というよりも若干の経験者という感じで転職活動を行いました。

当時はコピーライターは人気の職種で、履歴書を送っても書類選考で落ち、5社めでやっと面接までこぎつけました。

面接ではこの業界は残業や休日出勤が当たり前で20時までの残業はあるものと思ってください、との説明を受けました。

どうしてもコピーライターになりたかったので、私も前のめりにガツガツ気味になっていて、残業ぐらい大丈夫です的なことを返答していた記憶があります。

それから1週間ほどたって、その面接を受けた会社から内定の電話をもらい、やっと将来への道が開けた、と喜びで一杯になりました。

働き始めるまでに1ッヶ月以上あったので、その間は本屋を梯子して、雑誌の広告に載っているコピーを勉強したり、国会図書館でコピーに関する書籍を読んだりと、これから始まるコピーライター生活に期待を膨らませて、準備に勤しんでいました。

出勤初日、大声で社訓を読み上げる朝礼に就職先を間違えたかと感じた

いざ出勤日初日。

まずは総務で待たされて、朝礼が始まってから皆の前に呼ばれました。

朝礼は会社の二階の大広間で毎朝行うのですが、その広間の壁には、誰かが筆で書いた格言らしきものでびっしりうめつくされ、その異様な様に圧倒されてしまいました。

社長から手招きされ皆の前で簡単な自己紹介をし、朝礼の続きが始まりました。

週のはじめということもあり、まずは前の週の売上報告、それからその週の予定を各部署から報告、ここまでは普通でした。

そのあとみな一方を見つめ、ある社員が一歩前に出ました。

「社訓!」と大声で叫んでから、みな額縁に入った社訓を声を揃えて大声で読み上げはじめました。

「こういうのテレビで見たことがある」と思いつつも、よく状況が呑み込めないまま、金魚がエサを求めるように、私も一応口をなんとなくパクパクさせていました。

この時が後悔した最初の時です。

間違った会社を選んだかな、と。

仕事が終わっていても上司より先に帰ってはいけないのが当たり前だった

入社後2週間は研修でした。

前任者からの仕事の引き継ぎ、タイムカードや遅刻早退の方法などの事務的処理の仕方、コピーライティングの基本的なルールなどを教わり、平穏に2週間が過ぎ去りました。

過ぎ去ったのですが、前任者の辞める日に、その方の送別会があったのですが、その送別会の帰り際、前任者の方からとても嫌な事を囁かれました。

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「よくこの会社に入ったね、この先大変だよ」と。デリカシーが無いな、と思いつつも、私の行く末に暗雲が垂れ込めたような気持ちになりました。

コピーライティングに関してはとくに問題はなく、すぐに一人立ちできました。

ただまだ新人ということもあり、回ってくる仕事も少なく、夕方前にはその日のノルマは終わっていました。

時計を見て「さて、退社時間だ」と帰ろうとしたところ、左にいる同僚から腕を掴まれ、部長が帰る前に帰ったら怒られるとの注意を受けました。

最初のうちは何のことか分からずに驚いていたのですが、日を重ねるうちに何となく状況が呑み込めてきて、役職順にこの会社は帰るのだな、ということが分かってきました。

腑に落ちませんでしたが。

半年が経つころ、これが自分の中の常識になっていたのが、今考えると恐ろしいです。

ただ、何かが変だ、という違和感はずっと持っていました。この理不尽な退社時間も、後悔したうちに一つです。

無理に働きすぎて倒れて入院!労災申請をさせない会社に呆れて退職

入社して1年以上が経つ頃、私はカタログ製作の責任者に任命されました。

600ページ近くあるカタログの編集、コピー制作、写真の取り寄せ、デザインの指示、校正を一人でやらなくてはなりませんでした。

それも期限が3カ月です。やることが多すぎで、毎日家に帰るのが夜中の2時過ぎ、出社は7時の生活が続き、土日はありませんでした。

最初のうちは大変でしたが次第に時間感覚が麻痺し、何とかかんとか仕事を回してはいました。

ちなみにこの勤めていた会社は残業代は1円も出ません。この時の私の給料を時給換算すると、間違いなく最低時給を下回っていたと思います。

仕事を進めていくうちに、これでは納期に間に合わないと思い、人を回してくれるよう、何度も掛けあってはみたのですが、取り合ってはくれません。

とくに校正に時間が掛かり、かなり体に無理をきかせて、何とか納期には間に合いました。

ただこの翌週、下血や血尿が始まり、会社の廊下で倒れ、救急車で運ばれました。

過労からくる大腸炎その他もろもろの病気に掛かってしまい、しばらく入院することになりました。

この間、総務部の部長はじめ、お偉方が何度も見舞いに来てくれたのですが、皆、どうか労災の申請はしないでくれ、というお願いのお見舞いでした。

さすがに呆れて、私は入院中、退社をする決意を固めていました。

入院中は時間を持て余しているので、とても丁寧な辞表を書き、社長に提出しました。

この会社は残業代は出ないのはもちろん、退職金も出ない会社なのですが、私が辞める時はこっそり退職金か口止め料か、何か分からないものが包まれて、私に渡されました。

体を壊す前に辞めておけばよかったと後悔しています。

今もまだこのころ負った心身のダメージは続いています。





2019年現在の今は転職の絶好のチャンスです。タイミングを逃すと転職が難しくなるのは間違いありません。

就職氷河期と比べ、好景気の今は完全な売り手市場。

企業も積極的に採用を進めており、条件面も格段にアップしています。

しかし、好景気には必ず終わりが訪れ仕事が無くなる時が必ず来ます。

実際に、『オリンピック前には状況がガラっと変わる。』と予測する専門家も少なくありません。

また、年齢とともに転職が難しくなるのは言うまでもないですよね。

将来的な転職を考えているのであれば、人生を失敗しない為にも、1日でも早く行動をする事をおすすめします。



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