転職チャレンジ!〜会社を辞めたい人の為の仕事の探しとやめ方まとめ

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鬱、引きこもり、発達障害、自分と向き合いながら仕事を探す

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大手広告代理店に勤めるものの、契約を打ち切られる

私が初めて働き始めたのは高校一年生になってからでした。

現在28歳ですが転職も含め様々な仕事に従事してきました。

高校一年生からの経歴を数えると軽く10社は超えてしまうので大学生を卒業して社会人と呼ばれる世代になってからの経歴を述べさせていただきます。

まず、初めに大学卒業後就職した会社は大手広告会社リクルート社と専属代理店契約をしている営業クラウスではトップクラスと言われていた広告会社で働きました。

職種は営業事務でした。

私は学生時代、接客業や軽作業、イベントスタッフや郵便局、調理業、工場作業員やサクラ、エキストラや介護・福祉、仕分け・検品・梱包、レジ打ち、ティッシュ配りやポスティングなど、事務以外の仕事をやっていたので、小さいころから憧れていたパソコンの仕事に就くことができたときはとても嬉しかったですし、頑張りたいと意気込んでいました。

作業内容は実習生なので限られていましたが、主にタウンワークやはたらいく、fromAなどの求人広告の作成を手掛け、校正や編集作業も担当していました。

また、簡単な清掃、社内整理、電話・来客対応も行いました。

職場に慣れてくると、下請企業に出向き、求人雑誌の校正、郵送作業を行い、ほぼ全国の企業に求人雑誌を郵送していました。

何故、私がそこまで夢見た企業に就職できたのに、転職したのかといいますと、一つは、契約期間の打ち切りというものがありました。

私は、壊滅的に電話対応や来客対応が苦手で、会社に評価されなかった為、辞めざるを得なくなりました。

ですが、求人広告の作成では職場の先輩よりもお客様に喜ばれたなど、評価されていた部分もあった為、やりがいを感じることができました。

一社目の会社を辞めた後は、自分磨きに励みました。

病気で神経性不眠症や鬱状態を患い、一時的に引きこもりを経験しましたが、現状に甘んじることなく、コミュニケーション力や社会適応力を身に着けるために引きこもりの方を支援している施設に通所しながら、期間限定(延長可能)のアルバイトをしながら

資格を取ろうと「医科2級医療事務実務能力認定試験」を受験し合格して、医療事務の資格を取得し、次の転職に繋げていました。

大手運送会社に転職後、発達障害であることが判明

期間限定のアルバイトを終えた次に働き出した就業先は、たまたま学生時代から登録していた派遣サイトで見つけました。

そこは実習ではなく、就職でした。初めての就職です。

就職先は誰もが知っている、CMもしている大手運送会社の本社でした。

職業は電話対応を主とする一般事務で、雇用形態は派遣社員を3か月経た後に契約社員として働いていました。

作業内容は、荷物の問い合わせや苦情、再配達受付やドライバー対応、サービスの説明やグループ会社の問い合わせ等に対する電話対応、全国営業所から送られてくる顧客情報や運送状況や顧客の要望が載っている紙を処理したり、不在になって再配達が決まった荷物を整理してベルトコンベヤーに流したり、倉庫内を整理したり、直接荷物を倉庫内から持ってきてドライバーに渡したり、請求書等個人情報の載っている紙を処理したり、企業様に発信電話をして荷物の状況を説明したり等多岐に渡りました。

仕事に慣れてくると後輩指導にもあたり、企業様に発信電話をする作業を二人で分かれて担当していました。

働き始めて半年くらいしたあと、体調不良をきっかけに生活が乱れるようになりました。元々患っていた不眠が悪化し、入浴できない日も増え、眠れなくなりました。

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仕事も休みたいと思うようになり、勇気を振り絞って地元の心療内科を受診すると、他の病気の疑いがあるということで、別の病院を紹介してもらうことに。

検査費用はかかりましたし、誰にも言えないまま時はすぎ、診断された病名は発達障害というものでした。

小さいころから自分は普通ではないと思い込んでいましたが、やはりそうだったのかと納得しました。

私は、とりあえずお金が欲しかったので誰にもいわないまま一年がすぎ、やっと、一年五か月頃に職場や親にカミングアウトすることを決意しました。

もちろん職場では仕事人間でまあまあ成績も優秀でしたので、なんとか上司から努力してみるからと言われましたが結局変わらずそれどころかパワハラを受ける羽目になり、辞めることを決意しました。

それから、障碍者手帳を取得することを心に決めていましたが、親に反対され、何か月か揉めましたが、納得してくれました。そして一年半の時をすぎ、私は新たな一歩を踏み出すことを決意したのです。

障碍者を対照にした社会技能トレーニングを受け、今の自分と向き合う

また、自分磨きに戻りました。不眠と鬱をはじめ新たに診断名が増えてとてもしんどいのは今でも続いています。

障碍者手帳を取得してから、様々なサービスを受けることができました。

後に人生経験の芽となり、現在、障害を打ち明け新たな事業所で新たな一歩を踏み始めました。

とても長かったように思います。

まず、前職を辞めてからは障碍者を対象に社会技能トレーニングを行っている訓練施設で働く上で必要なコミュニケーション力、病気の理解、働く上の心構え、休憩のとりかた、報連相や面接などの大事な本番の時の練習、あと作業を通じて得意不得意を理解したりしました。

それからは福祉サービスの一環で障碍者向けに職場を提供している施設でパートとして働き始めました。

三社目の事業所では、お弁当を作っている事業所で、私の職業はお弁当の配達、お弁当の仕分け、洗濯、館内清掃などです。

私がここでだいぶ障碍をもった方と接することができ、色々揉まれたと感じています。

全員に共通していると感じるのは「コミュニケーションが苦手」ということです。

一方的に話す人が多く、自分が聞いてほしい時には聞いてもらえないことが多く、職員さんも精いっぱいで余裕がない感じがたまに見受けられました。

だから、私がここで学んだことは、他にも絶対生きてくると信じ、一年働きました。

ここでも個人的にコミュニケーションの勉強をしようと自ら遠出してSST(社会技能トレーニング)というものを月に5回、一年間続けました。いつか役にたつときを信じて・・・。

Facebookで自分に合った就職先を見つけ、病気と闘いつつ働く日々

現在の職場は、たまたまFacebookで情報公開しているのを知り、決断はすぐでした。

前のところよりも自分の能力を伸ばし、そして精神的負担が軽く、会社の社風や理念に共感できるところはここだと私の様々な転職経験から勘が働いたのです。

現在のところ、人間関係でもまれるというよりは自分の精神面と向き合うことが多く、日々、病気と闘いながら仕事を頑張っています。

最後に、収入面では初めての転職先よりかはたしかに少なくなりましたが、さまざまな訓練を経て自分というものを見つめなおした気がしています。

これからも様々な困難と闘いながら、自分にあった就職先をみつけ、日々頑張りたいと思います。





2019年現在の今は転職の絶好のチャンスです。タイミングを逃すと転職が難しくなるのは間違いありません。

就職氷河期と比べ、好景気の今は完全な売り手市場。

企業も積極的に採用を進めており、条件面も格段にアップしています。

しかし、好景気には必ず終わりが訪れ仕事が無くなる時が必ず来ます。

実際に、『オリンピック前には状況がガラっと変わる。』と予測する専門家も少なくありません。

また、年齢とともに転職が難しくなるのは言うまでもないですよね。

将来的な転職を考えているのであれば、人生を失敗しない為にも、1日でも早く行動をする事をおすすめします。



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